理念

存在意義

Yusaku Ota
学院長 大田裕作

関西聖書学院の存在意義はどこにあるのでしょうか?
戦後、北欧の宣教師によって生み出された本学院に脈々と流れているものは、福音への感動です。母国に家族を残し、ことばや文化を越えて彼らが伝えてくれたものへの感動です。それは私たちに差し出された、神様の一人子を犠牲にした愛です。この福音への感動が私たちをキリストに従う弟子にしました。生涯をささげて神の国の拡大に仕える者となりたいと願わされました。しかもその神の愛はすべての国々、人々に向けられています。
私たちは日本の隅々、津々浦々、そしてすべての国々への宣教に用いられたいのです。・・・それが形になったのが関西聖書学院です。福音への感動に始まる宣教への献身が私たちの存在意義です。

学院の標語:「十字架と聖霊そして宣教」

十字架:「キリストにある」

Cross Spirit Mission 十字架 聖霊 宣教 学院生活ではto doよりも先にto beを絶えず確認させられてきました。重大な使命以前にキリストにあって獲得された「立場」「存在」を確かめられてきました。
十字架は私たちの救いの場所、赦しの原点です。2000年前の主の御業の中に神様の契約を見ます。主の身代わりの死によって私たちの罪の代価が払われていること、神の法廷における判決と処刑が完了済みであることを信じます。そこから安息が来ます。神との平和が生まれます。自己受容が始まります。他者との和解もなされます。
さらに十字架は赦しの場所であるだけでなく、真の解放に導くプロセスでもあります。私たちの古い人とも肉とも表現される自我からの解放の道です。聖書は「私たちはすでにキリストとともに十字架につけられ、ともに葬られ、ともによみがえらされた」と語っています。
主を信じ愛していながらもみこころにふさわしくない心の動き、からだの欲望や衝動についての混乱から私たちを解き放ってくれます。キリストの死と葬りと復活を感覚や感情ではなく、信仰によって、わが身に当てはめるとき、聖霊がその真理を教えてくださり、新しい領域へと移されていきます。そして自己改良の努力、自己犠牲の代価で神の関心を惹こうとする努力から解き放たれます。十字架にある赦しと安息です。
「キリストにある安息」の教えが卒業後に続く奉仕の生涯を支える土台です。

聖霊:「伴なるお方として」

キリストとともに死に、ともによみがえるという真理の啓示は、ひたすら聖霊によって導かれるものです。人間の知性や努力の結果ではありません。聖霊なる神様は静かな細い御声をもって私たちを真理に導き続けます。不思議に私たちの霊の深みに灯りがともるように、照らされます、ものが見え始めます、わかり始めます。そのような聖霊なる方との人格的な交わりは何よりも慕わしいものです。
そして聖霊はさらにご自身の賜物を私たちに分け与えてくださいます。真実なご臨在とともに、分与された賜物の顕われによって働きを前進させてくださるのです。主は私たちを徒手空拳で宣教の畑に遣わされる方ではありません。
本学院は設立当初から福音派と聖霊派の橋渡しの位置に立ってきました。バランスの良さを評価されてきました。それは感情と知性と信仰のバランス、御霊の実と賜物の理解のバランスなどだと考えます。そのバランス感覚は今後も大切にし続けたいところです。

宣教:「神のパッション」

そして「十字架と聖霊」の先に、見えてくるのが宣教です。父なる神のこころです。アブラハムを選ばれた神はその初めから全世界の民の祝福を意図しておられました。一人も滅びることを望まれない、神のこころ、神のパッションです。宣教とはこの神のパッションに合わされ、私たちの意欲や計画ではなく、この神のみこころに沿ってなされていくものなのです。神を崇める礼拝の中で父のこころに合わされ、パッションに触れられ祈りが導かれていき宣教が現実のものとされていきます。
国内外の宣教は私たちがいよいよチャレンジされてきている分野です。国内の少子高齢化、若者の減少は教会内でも深刻です。無牧の教会も増えつつあります。このゴリアテが立ちはだかり、神の民を侮るような社会状況の中でダビデのように立ち上がる器が待たれているのです。日本の津々浦々そして全世界の異文化圏や未伝部族に福音を満たすために立ち上がりませんか。あなたと一緒に汗を流し、宣教のために戦いたいのです。

器づくり

本学院はそのような宣教を担う器づくりの場所です。アカデミックな学びとともに大切にしているのは人材形成、器づくりです。結局のところ宣教は「人」にかかっています。戦略や方策ではありません。「人」です。全寮制の共同生活、祈り会や作業、また教師や専任スタッフとの交わりを通してそのことを目指していきます。2年、3年へと進級するにつれて「鉄は鉄によって、人はその友によって研がれて」いくのです。痛いですが、成長への脱皮の痛みです。この経験は卒業後の奉仕の現場で最も役に立つ、また懐かしく振り返るところです。

超教派性について

本学院の超教派性に関しては以下のように告白します。
信仰的実質についてはローザンヌ誓約(*)を基準告白とします。また交わりにおいては国内外で公同性を認められる宣教協力の輪に連なることを願います。

*ローザンヌ誓約は1974年スイス・ローザンヌで持たれた世界伝道会議で採択された世界大の福音的教会の信仰の共通軸として広く認められているものです。主眼点としては聖書の権威と力、キリストの独自性と世界性、伝道と社会的責任などが謳われています。

あなたと一緒に

カナダにプレーリー聖書学院という世界宣教に大きく用いられている学院があります。そのスクールモットーは「Disciplined soldiers for Christ」だそうです。訳せば「キリストに仕える鍛え上げられた戦士の育成」となるでしょうか。
・・・・キリストに仕えるため、鍛え上げられたい、いのち捧げて宣教に用いられたい、そんなあなたと一緒に関西聖書学院の次の時代の歴史を書いていきたいものです。
あなたの信仰の一歩を主が祝福してくださいますように。

2014年10月
大田裕作

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