小嶋健太

小嶋健太
26歳(インタビュー時)
日本キリスト教団 高砂教会


小嶋さんとイエス・キリストの出会いについてお聞かせ頂けますか。

 きっかけは小児ぜんそくの癒やしです。5歳のころでした。
 母親が、ママ友に連れられて家庭集会に行くようになって、僕も一緒に連れて行かれたのが教会に行くようになったきっかけなんです。母親は礼拝に出て、僕は日曜学校で毎週聖書の話を聞くようになりました。それを通してイエス様の存在を知って、「この人が何でも直してくれるんだ!」という単純でピュアな信仰があったんです。
 ある日、小児ぜんそくの発作が起こったときに母親は「病院へ行こう」と言ったのですが、僕には「牧師先生に祈ってもらえば治る」という信仰があったんです。それで病院へは行かず、牧師先生の所へ連れて行ってもらって、祈ってもらったんです。その帰りに僕は車の中で戻したんですね。その時に「癒やしてもらった!」と言う確信が与えられ、「治った!」って言いました。その時以来、症状は一切無くなり完全に癒やされました。
小嶋健太 このことが自分の中では大きな出来事で、「この方は本当に僕のコトを愛してくれているし、この方が自分を救ってくれたんだ。」と実体験を得ました。この時に「イエス様を信じたい。自分に関係のある神様なんだ。」と思いました。それまでは、漠然とピュアに信じていたんですけど、この体験を通して、子供ながらに確信を得ることが出来ました。幼いが故の、単純な信仰ですね。でも、まだ5歳ですのでその時には洗礼を受けたいという思いはまだ無かったです。っていうか分からなかったです。でも確信があったので、毎週教会学校に集ってました。
 父親は警察官で三交代勤務だったので、毎週日曜日が休みというわけではなかったので、毎週教会へは行ってなかったんです。そのころ子供ながらに「父親は毎週日曜日教会に行ってないので余りイエス様のことを信じていない」という認識だったんですね。ところが父親が洗礼を受けるというニュースが入ってきて、「毎週教会に行ってないようなパパがクリスチャンになれるのに、なんで毎週教会に行って、イエス様のことを信じて、こんなにイエス様のことが大好きなボクが洗礼を受けれないの?」と母に言いました。母親は自分では何とも言えないので牧師先生に相談したら、「幼子の信仰を大事にせよと聖書に書いてあるので、いいんちゃうか!」となり、父親と、おねえちゃんと、ボクが一緒に洗礼を受けることになり一気にクリスチャンホームになりました。それからは何か起こったときでも「祈れる相手がいるんだ。ブレない確信があるんだ。」と言うことが凄く心強かったです。

イエス・キリストと出会って変えられてからはどんな生活でしたか?

 ボクの成長し思春期を過ごす中、母親の強い信仰によって、ボクは守られていたと思います。
 中学生、高校生と成長し、クラブ活動や友達との関係など行動半径が広がっていくと、毎週教会へ行くことが優先出来なくなっていきました。野球部に入ったんですけど、野球部は土曜も日曜も関係なく練習・試合が入ってきて、日曜日も夕方に帰ってくるという生活になったんです。ウチの教会は毎週夕拝が持たれていて、母親は「朝・昼の礼拝に出れなくても夕拝に出ろ」という信仰だったんです。だから僕にも色々チャレンジしてきます。でも自分は疲れているし行きたくないという戦いがあったんですけど、母親は「行かんでもええけど、明日から弁当つくらへん」「行かんでもええけど、ユニホームは洗わへん」と脅しをかけてきたんですね。でも自分は「そんなこと、本当にせえへんやろう。」と思って教会へ行かへんかったら、ホンマに弁当がなかったり、ドロドロのユニホームがそのまま置いてあったりとか、本当に言った通りにしたんですよ。なので「しんどいけど、帰ってきて1時間半そこに座っているだけで洗ってもらえるんやったら、それでええかな。」と思って夕拝に出席してました。
 献金も、母親からお小遣いをもらいますが、お小遣いを渡す時点で十分の一が減らされ什一献金がされていました。そのときは、「なんで教会行かなあかんねん、小遣いも満額くれや。」と思っていたけど、そのことが今の祝福となって、教会に繋がって、献身者への道を歩むことができているんだと感謝してます。
 もし、中高生のころに教会から完全にはなれてしまっていると、戻りづらかったり、戻ったとしても、献身しようとまでは思っていなかったと思います。自分の意思ではなく、母親に助けられてですけど、主から受けた恵みを返すということを継続的にしていたことで、自分には相当祝福があるし、「自分の家族、子供にまでも、代々祝福が及ぶ。」と聖書に書いてある通りに、今も本当に祝福されています。
 今は結婚して家族、子供がいる立場ですが、クリスチャンホームで育って離れがちになっている子供達の親世代にお勧めしたいのは、今しっかり、多少強制的にでも教会に繋がると言うことをしていくことは大切なことだと思っていて、自由にさせてあげたい部分はあるけれども、信仰の面では一線を行くコトは大事だと思っています。今では、母親の信仰、チョット強引なやり方にとても感謝しています。

献身したいと思った理由は何だったんですか?

小嶋健太 病が癒やされた幼い頃の経験が自分の中で大きいんですね。自分の為に祈ってくださった牧師先生に対する憧れが心の中に残っていました。もちろん、そこで働かれたのは神様なのですが。「大好きなイエス様に通り良き管として用いられて、癒やしの祈りをしたら癒やしが起こっる。」この「牧師」という仕事が、子供心に輝いて見えて、その時に「牧師になりたい」と思ったのを覚えています。事あるごとに、「そういった仕事がしたい、自分を捧げたい。」と言う思いがありました。
 高校卒業の頃は父親が警察官ということもあり、警察官・消防士といった公務員で人の役に立つような仕事を一旦は目指したんです。高校卒業時に、公務員を受けて公務員になるということにチャレンジしたのですが、全部落ちたんです。そのまま専門学校に進んだのですが、「神様が願っている通りにしてください。」と祈っていました。専門学校の2年目に消防士の試験に合格したんですけど、平安が無く、そこで働いていくことが自分にはフィットしていない、主の御心ではないという気がして断りました。その後事務職の試験に合格し、兵庫県の職員として働くようになったのですが、その時に「主は導いてくださったな」と気付かされました。もし消防士になっていたら、父親と同じ三交代になるので、神様に仕えたいと思いながらも、それが十分にはできなくなってしまう。けど、事務職だと完全に土日祝が休みで、礼拝だけではなく、夏のキャンプとかにも参加出来ています。そんな中で「だったら、全てを主に捧げてみよう。」「もっと捧げたら、もっと祝福されるのかな。」と思ったので献身しようと決心しました。21歳の時でした。
 それから牧師に相談したら、「3年間は働いた方が良い。社会のことを知ってから献身したほうがいい。」とアドバイスをもらい、結果的に4年間働きました。
 自分には「牧師になりたい」という思いが強かったので、働きながら献身というよりは、一旦区切りを付けて集中して学びたいと思いました。そして神学校への入学を決意しました。

なぜKBI関西聖書学院を選んだんですか?

 自分が属する教会は「日本基督教団」なので、教団が認定している大学の「神学部」に行くのが普通なのです。しかし、教会自体は教団とは違った道も開かれていて、副牧師、伝道師がKBI出身、主任牧師と学院長の関係もあり、KBIに行くことを決意しました。海外で学びをすると言うことも考えたのですが、語学力の点がひっかかりました。

KBIに入学してみてどうですか?

 想像以上にしんどいです。他人と24時間一緒の生活で、楽しい部分もありますが、周りの人と自分とはライフスタイル、教会のバックグラウンドなどが全く違い、自分の信仰の道とは全然違う道を歩んで来られた方ばかりなので、自分の当たり前、自分の聖書の理解などが、当たり前ではなかったことに気付かされます。自分とは全く違う考え方を受け入れるべきなのか、自分の考え、信仰を保ち続けるのか、と考えるときに自分の中に葛藤があります。ここがしんどいですね。ですけど、日々磨かれ、幅が広げられていってることが実感できます。これによって主の恵みに気付くことが多いです。ここで学べることは本当に感謝です。

最後に卒業後のビジョンを聞かせていただけますか。

 自分を育ててくれた教会に恩返しをしたいと思っています。伝統がある教会ですが、若い世代、次世代のために仕えていきたいと思っています。そういう面ではKBIでの学びは多岐にわたっていて、若い世代のために何を教えるべきなのか、どのようにリードしていくのがよいのか、と言うことも学べます。それらを自分の知識として蓄えることで、いざ自分が実戦する段階になったときに、非常に役に立つ学びになっていると思っています。

本日はありがとうございました。
インタビュー:2014年9月
インタビュー制作:トゥルース